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富士錦猛光 氏(ふじにしきたけみつ)

相撲力士、先代・高砂親方[日本]

2003年 12月17日 死去慢性腎不全享年67歳

富士錦猛光 - ウィキペディアより引用

富士錦 章(ふじにしき あきら、1937年3月18日 - 2003年12月17日)は、山梨県甲府市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。
本名は一宮 章(旧姓は渡辺)。
身長175cm、体重136kg。
得意手は突き、押し。
最高位は東小結。
長男はプロレスラーの一宮章一、次男は元横綱・朝青龍のマネージャーの一宮章広。
その風貌と優しく穏やかな性格から、「平和ちゃん」の愛称で親しまれた。
来歴= 小学生の頃に相撲を初め、当初は嫌々だったが強くなり、中学生の時には県大会で優勝、高校1年で国体に出場するなどの実績を残した。
1952年(昭和27年)夏に髙砂一門が巡業に来た際に勧誘され後に4代目髙砂親方(元横綱前田山)から直々に勧誘されて入門を決意、1953年(昭和28年)3月場所初土俵。
四股名は入門当初に目を掛けてくれた髙砂部屋の横綱東富士の『富士』を頂戴して命名した。
立合いに頭で当たって遮二無二行う突き押しが強かったが四つに組むと脆かった。
一時期右で前ミツを取って出し投げを打っていたが、富士錦自体上背が無いためそれを行うと自分の体が浮いて上手くいかず、周囲にも怒られたためやらなくなった。
1959年1月場所新入幕。
この場所は5勝10敗と大敗し十両に陥落。
しかし1場所で返り咲きそれ以降は平幕上位に定着する。
1963年(昭和38年)の7月場所中に母を亡くしたが奮起し、不振とはいえ2大関(豊山と栃ノ海)を倒して9勝6敗の成績を挙げ殊勲賞を獲得した。
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富士錦猛光さんが亡くなってから、20年と340日が経ちました。(7645日)

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