ヨハン・ボーデJohann Elert Bode
天文学者[ドイツ]
1826年 11月23日 死去享年80歳

ヨハン・エレルト・ボーデ(Johann Elert Bode, 1747年1月19日 - 1826年11月23日[1])は、ドイツの天文学者である。
ヨハン・ティティウスが発見した太陽系の惑星の軌道に関する法則を世に紹介したこと[2][3]、ウィリアム・ハーシェルの発見した新惑星(天王星)に Uranus の名前を提案したことで知られる[2][3]。
また、後にメシエ天体に数えられる天体を数多く発見している[2]。
略歴=
1747年1月19日、ハンブルクで生まれた[2]。
1772年にベルリン・アカデミーの天文台の計算家となると、1774年にはヨハン・ハインリヒ・ランベルトとともに「ベルリン天体暦」を発行し[2][3]、1777年にランベルトが他界して以降は毎年彼独りで1826年に他界するまで発行を続けた[2]。
1786年に王立科学アカデミーの会員に選ばれた[2][3]。
翌1787年にはベルリン天文台の台長に就任、1825年にヨハン・フランツ・エンケに引き継ぐまでその職にあった[2]。
1789年王立協会フェロー選出。
1826年11月23日、ベルリンで76歳で死去[2]。
業績=
1772年、シャルル・ボネ『自然の思想』第2版のヨハン・ティティウスによる訳注で太陽系の惑星の軌道に関する法則を知り、自分の『星空の知識入門』 (Anleitung zur Kenntniss des gestirnten Himmels) 第2版に
ヨハン・ボーデが亡くなってから、198年と220日が経過しました。(72540日)