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ジグムント1世Zygmunt I Stary

ポーランド国王[ポーランド]

(ユリウス暦) 1548年 4月1日 死去享年82歳

ジグムント1世 - ウィキペディアより引用

ジグムント1世スタルィ(Zygmunt I Stary, 1467年1月1日 - 1548年4月1日)は、ポーランド王、リトアニア大公(在位:1506年 - 1548年)。
異称「スタルィ」(Stary)は息子のジグムント2世アウグストとの弁別のために付けられたもので、「老王」を意味する。
生涯= カジミェシュ4世と、ローマ王アルブレヒト2世の娘エリーザベトの間に生まれ、兄のヤン1世、アレクサンデルに続いてポーランド王位に就いた。
長兄ウラースロー2世は母親の血統からハンガリー王及びボヘミア王となった。
1512年にハンガリー貴族の娘バルバラ・ザーポリャと最初の結婚をしたが死別し、1518年にミラノ公国の公女ボナ・スフォルツァと再婚した。
ジグムント1世はポーランド王、リトアニア大公となる前に、シロンスク地方のグウォグフ公国(1499年 - 1506年)、オパヴァ公国(1501年 - 1506年)を統治していた。
1504年にはシロンスク地方とソルブ人居住地域の全域を統治するようになった。
兄アレクサンデルの死後、ヴィリニュスの貴族会議によってリトアニア大公に推され(1506年10月20日)、さらにピョトルクフで開かれたセイム(議会)においてポーランド王に選ばれた(1506年12月8日)。
1507年1月24日、クラクフで戴冠した。
ジグムント1世は外部からの脅威に備えるために、まず国内での権力を強化しようと努めた。
1505年、アレクサンデルの統治下で「ニヒル・ノヴィ」と呼ばれるシュラフタの特権が議会で決議されている。
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