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坊城中子 氏(ぼうじょうなかこ)

俳人[日本]

2021年 8月16日 死去老衰享年94歳

坊城 中子(ぼうじょう なかこ、1928年(昭和3年)5月12日 - 2021年(令和3年)8月16日)は、俳人。
人物[編集] 神奈川県横浜市生まれ。
俳人高浜虚子の孫で、俳人高浜年尾の長女。
俳人稲畑汀子の姉。
聖路加看護専門学校(現:聖路加看護大学)卒業。
1950年、坊城としあつ(本名俊厚)と結婚。
1955年より聖路加国際病院に勤務、総婦長を務める。
1969年立正佼成会病院、1972年昭和大学烏山病院付属看護学校教務主任、1976年登戸病院看護部長、同年きぬ医師会病院看護学校副校長、2003年内藤病院総婦長。
幼少時より俳句に親しみ、1948年『ホトトギス』に投句、のち同人。
夫としあつとともに同誌で活躍した。
1959年に看護師として、祖父虚子の最期を看取った。
1999年、伊藤柏翠より『花鳥』主宰を継承する。
夫の転任にともない3年間滞在したトルコでは、同地の風土に根ざした句を詠んだ。
2011年、『花鳥』主宰を息子の坊城俊樹に譲り、名誉主宰に就任する。
句集に『櫓櫂』、エッセイ集に『俳句の家』。
2021年8月16日午後1時、老衰のため東京都渋谷区の病院で死去。93歳没。 著書[編集] 『艪櫂 坊城中子句集』21世紀伝統俳句シリーズ 日本伝統俳句協会, 1999.12 『俳句の家』角川学芸出版, 2010.3 脚注[編集] ^ a b c “坊城中子さん死去 俳人、結社「花鳥」名誉主宰:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年9月14日閲覧。
^ a b 『人事興信録 第15版 下』タ46頁(国立国会図書館デジ ……

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坊城中子さんが亡くなってから、2年と345日が経ちました。(1076日)

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