松浦輝夫 氏(まつうらてるお)
登山家[日本]
2015年 11月6日 死去白血病と肺炎享年82歳
松浦 輝夫(まつうら てるお、1934年〈昭和9年〉 - 2015年〈平成27年〉11月6日)は、日本の登山家。
大阪府大阪市出身。
1970年、植村直己とともに、日本人として初めて世界最高峰エベレストの登頂に成功した。
経歴=
大阪府大阪市出身。
西野田工業高校時代はラグビー選手であったが、「山に登りたい一心で」、1953年、早稲田大学教育学部に進学し、1957年に卒業した。
卒業後は大阪市西区にある実家の松浦木材に入社した。
1965年、ヒマラヤの標高8,383mのローツェ・シャール峰に挑戦した早稲田大学隊に参加し、松浦は当時の日本人最高到達高度である8,180mを記録したが、食料と酸素の残量が乏しかったため、遭難者をださないことを主眼として、やむなく登頂を断念した。
1970年、36歳のときに、日本山岳会エベレスト登山隊(総隊長・松方三郎、登攀隊長・大塚博美)に参加し、東南稜ルートのリーダーを務め、5月11日に当時29歳の植村直己とともに、日本人初のエベレスト登頂に成功した。
この功績に対して秩父宮記念賞を受賞した。
1981年、早稲田大学K2登山隊の隊長を務め、8月7日、2隊員の西稜ルートから標高8,611mのK2初登頂を成功させた。
その後は、本格的登山から退き、本格的に家業の経営にあたるようになった。
1980年代には、所有している賃貸住宅に「ハイムK2」、エベレストの標高にちなんだ「ハイム8848」という名称を付けている
1991年、屋久島に単身で移住し、本格的に陶芸に打ち込 ……
松浦輝夫さんが亡くなってから、9年と77日が経ちました。(3364日)