ダン・デュリエDan Duryea
俳優[アメリカ]
1968年 6月7日 死去享年62歳
ダン・デュリエ(Dan Duryea , 1907年1月23日 - 1968年6月7日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ホワイト・プレインズ出身の俳優。
第二次世界大戦後の最も著名な悪役俳優の一人である。
生い立ち=
1907年1月23日にアメリカ合衆国のニューヨーク州ホワイト・プレインズにて、繊維のセールスマンとして働くリチャード・デュリエの息子として生まれた。
早くから演劇の世界に興味を示し、故郷の通っていた高校では演劇部に所属していた。
コーネル大学では英語を専攻し、フランチョット・トーンの後任として大学の有名な演劇協会の会長に就任した。
より安定したキャリアを望んだ両親の要求に屈し、演劇を諦めて大学卒業後は広告業界で6年間働いた。
しかし、仕事のストレスから20代後半に軽度の心臓発作を起こしてしまい、ほぼ1年近く寝たきりの状態が続いた。
医師からは広告業界の仕事を辞めて、ストレスの少ない仕事を新たに見付けるように忠告された。
俳優としての経歴=
『飾窓の女』(1944年)の一場面
『スカーレット・ストリート』(1945年)の一場面。
ジョーン・ベネットとともに
デュリエは大好きな演劇に戻ることを決めた。
1934年にニューヨークで撮影されたアルゼンチン映画『エル・タンゴ・エン・ブロードウェイ』で映画俳優としての道を歩み始めた。
翌1935年にコーネル大学時代の同級生であるシドニー・キングスレーの助力を得て『デッド・エンド』で端役としてブロード ……
ダン・デュリエが亡くなってから、56年と167日が経過しました。(20621日)