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西村貞朗 氏(にしむらさだあき)

プロ野球選手[日本]

(西鉄で投手として活躍)

2015年 8月3日 死去肝臓がん享年82歳

西村貞朗 - ウィキペディアより引用

西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日 - 2015年8月3日)は、香川県仲多度郡琴平町出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者、実業家。
史上5人目の完全試合達成者。
来歴・人物= 琴平高校ではエースとして活躍。
1951年、2年生の時に秋季四国大会県予選決勝に進み、高松一高の荒井健と投げ合うが完封を喫する。
翌1952年夏は県予選決勝で高松一高を降し優勝、北四国大会に進出するが八幡浜高に敗退。
春夏とも甲子園出場はならなかった。
1953年に西鉄ライオンズに入団。
同期入団に豊田泰光、高倉照幸、河村久文がいる。
また、同郷の中西太がいたためチームにすぐ溶け込むことができた。
本格派右腕として期待され、開幕直後から先発として起用されるが、結果を残せず同年は2勝に終わる。
プロ初勝利まで6連敗しているが、これは高卒新人の1年目の記録としてはNPB記録である。
この年のオフシーズンに日米野球でニューヨーク・ヤンキースのエド・ロパット率いるMLB選抜のロパット・オールスターズが来日し、第5戦で全パ・リーグの3番手として2イニングを投げた西村の投球がエド・ロパット投手兼任監督の目に留まり、ロパットは残り試合に西村を全米チームの一員としてプレーさせ指導したいと三原監督に申し出た。
弱冠19歳の西村にとって願ってもないチャンスとみた三原監督はこれを快諾し、以降の7日間を全米チームの一員として出場することとなり、第9戦と第11戦に全米チ ……

西村貞朗さんが亡くなってから、9年と111日が経ちました。(3398日)

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