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冨澤有爲男(とみさわういお)

作家画家[日本]

1970年 1月15日 死去心臓衰弱享年69歳

冨澤有爲男 - ウィキペディアより引用

冨澤 有爲男(とみさわ/とみざわ ういお、1902年3月29日 - 1970年1月15日)は、日本の作家、画家。
経歴= 大分県大分市生まれ。
父・冨澤久蔵は中学校の英語教師をしており、転勤の都合により全国に移り住む。
やがて幼年期より名古屋市で過ごす。
旧制東海中学校卒業。
東京美術学校に進学して絵画だけでなく文学についても学ぶが1年で中退し、漫画記者として新愛知新聞(現在の中日新聞)に入社する。
1921年より2年連続で帝展に入選し、1927年にはフランスへ1年間留学し絵画を学んだが、その側で作家としての活動も行い1925年に同人誌『鷲の巣』を創刊している。
1930年に結婚し、東京市牛込区天神町(当時)へ移住すると、次第に作家としての活躍が認められるようになり、1936年8月に発表した『地中海』で翌1937年2月に芥川賞を受賞した。
1942年には陸軍の報道班員となり、従軍作家としてインドネシアに1年間赴く。
帰国後の1945年に自宅が空襲で全焼したため、福島県双葉郡広野町に疎開するが、終戦後も東京には戻らず、晩年まで広野町で暮らしていた。
1970年1月東京での静養中に心臓衰弱で死去。
68歳。
作風= 当初は純文学だけでなく、画家でもあったことから美術論評も執筆したが、戦前から戦時中は国策協力として戦記小説を多く書き、戦後はもっぱら児童読物と外国文学の児童向け翻訳が主となった。
関連人物など= 母方の従兄弟である岡田三郎助が東京美術学校にいたことか ……

冨澤有爲男が亡くなってから、54年と310日が経過しました。(20034日)

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