マノエル・ド・オリヴェイラ 氏Manoel de Oliveira
映画監督[ポルトガル]
2015年 4月2日 死去享年108歳
マノエル・ド・オリヴェイラ(Manoel de Oliveira [mɐnuˈɛɫ doliˈvɐjɾɐ], 1908年12月11日 - 2015年4月2日)は、ポルトガルの映画監督。
現役最高齢の劇映画監督であった。
日本ではかつて「マノエル・デ・オリヴェイラ」と表記されていたが、ポルトガル語ではアクセントがない語尾の“e”は弱い「ウ」と発音されるため、『クレーヴの奥方』(日本では2001年公開)以後は「ド」に変更されて紹介されている。
また、「マヌエル」の表記も用いられてきたが、本人の希望は「マノエル」である。
経歴=
ポルト県ポルトの裕福な家庭に生まれ、スペインのガリシアにあるキリスト教系の寄宿学校で学んだ。
父親は電球の製造工場を経営しており、オリヴェイラ自身も17歳で父の会社に入って以降、人生の大半を実業界で過ごすこととなった。
一方で、若い頃から俳優を志し、20歳の時にイタリアの映画監督リノ・ルポが主宰する俳優養成所に参加した。
1931年、デビュー作となる短編ドキュメンタリー『ドウロ河』を監督。
1942年には初の長編である『アニキ・ボボ』を発表したが、興行的には失敗に終わり、オリヴェイラはその後しばらく映画から離れて本業に専念することとなった。
1950年代後半から1960年代前半にかけて数本のドキュメンタリー作品を撮ったものの、当時のアントニオ・サラザール政権(エスタド・ノヴォ)を批判して逮捕されたこともあって、映画監督としてのキャリアは低空飛行が続いた。
6 ……
マノエル・ド・オリヴェイラさんが亡くなってから、9年と234日が経ちました。(3521日)