今田智憲 氏(いまだちあき)
映画プロデューサー[日本]
2006年 6月23日 死去享年84歳
今田 智憲(いまだ ちあき、1923年7月20日 - 2006年6月23日)は、日本の映画プロデューサー。
東映アニメーションの社長と会長、東映ビデオの社長を務めた。
広島県東広島市西条町出身。
来歴=
人物=
東映社長だった岡田茂の盟友。
自宅も近所の幼馴染で、今田の家も酒樽の製造元であった。
岡田と小学校から進学・就職とともに歩み、旧制広島一中(現・広島国泰寺高校)、東京商科大学(現・一橋大学)予科を経て1946年東京産業大学(1944年に東京商科大学から改称、現一橋大学)卒業、1947年東京急行電鉄に入り同郷の先輩・黒川渉三が社長を務めていた東横映画(東映の前身の一つ)に誘われて移籍。
東映では営業畑を歩き、東映動画(現・東映アニメーション)に移動すると、同社製作のテレビアニメや劇場アニメ作品(東映まんがまつり)の多くに製作・企画などで携わった。
また本社配給課長時代の1953年公開された『ひめゆりの塔』は、撮影が長引き製作に名を連ねた社長・大川博が激怒し製作中止を宣告。
マキノ光雄と共に大川を説得し公開された映画は、日本映画興行界空前の大ヒットとなって東映は大きく飛躍した。
東映動画設立時=
1955年、日本動画の藪下泰司と山本善次郎から今田は日本動画の買収を持ちかけられ、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し東映は日動の買収を決めた。
1956年1月、 ……
今田智憲さんが亡くなってから、18年と167日が経ちました。(6742日)