芸能人・経営者のおくやみ情報

松平定勝(まつだいらさだかつ)

戦国武将、 伊勢桑名藩主[日本]

(寛永元年3月14日没)

1624年 5月1日 死去享年65歳

松平定勝 - ウィキペディアより引用

松平 定勝(まつだいら さだかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
徳川家康の異父弟。
定勝系久松松平家宗家初代。
官位は従四位下・左近衛権少将。
生涯= 永禄3年(1560年)正月、久松俊勝の四男として尾張国坂部城(現在の愛知県知多郡阿久比町)で誕生。
生後間もなく異父兄の松平元康(後の徳川家康)より、家門に准じて松平氏の称号並びに葵紋を賜う。
異父兄・家康に従い長篠の戦い、天目山の戦いに従軍した。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いの蟹江城合戦に際し、二番乗りを挙げる。
戦後、羽柴秀吉は家康に対して、定勝を羽柴家の養子にさせるように要求した。
だが、生母・於大の方の要望により、松平家に留められた。
於大の方の子らのうち、長兄・康元が常に本国を留守にし、また次兄・勝俊も、かつて今川氏および甲斐武田氏へ人質として出されていた結果、両足の指を失ったためであった。
於大の方は自分の側に我が子を置いておけないのを寂しく思い、末子の定勝を他家へ出すことを嫌ったのである。
結局、家康の次男である於義丸(後の結城秀康)が秀吉の養子になった。
このため、定勝はしばらくの間、家康からは疎んじられたとも言われている。
室は家康の口利きである。
長篠の戦いの後、家康は娘婿となった奥平信昌が徳川家に臣従した際、武田家の人質になっていたその一族を犠牲にしていた。
人質には信昌の弟の ……

松平定勝が亡くなってから、401年と314日が経過しました。(146779日)