唯是震一 氏(ゆいぜしんいち)
作曲家、箏曲家[日本]
2015年 1月5日 死去有棘細胞がん享年93歳
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。
妻は筝曲家の中島靖子。
経歴=
北海道深川市生まれ。
父親は尺八奏者、母親は筝曲家。
農業経済学者の唯是康彦は従弟。
3歳から生田流筝曲を学ぶ。
小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。
宮城道雄に師事する。
その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。
卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。
この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
1955年には、ストコフスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニーとの共演で、《春の海》を演奏し、国際的にも知られるようになる。
1959年の帰国後は、毎年国内で新作発表会を開催。
1962年にはトニー・スコット、山本邦山との共演のアルバム『禅の音楽』をヴァーヴからリリース。
1964年からはロックフェラー財団の招きで2年間、コロンビア大学芸術科の講師をつとめる。
1970年からは毎年リサイタルを開催する一方、唯是震一合奏団を指揮して海外でも活躍。
ユネスコ世界音楽祭・テヘラン国際音楽祭など、数多くの国際的なイベントにも招待される。
1985年頃から皮膚病を患うが克服し、現在も旺盛な創作・演 ……
唯是震一さんが亡くなってから、9年と321日が経ちました。(3608日)