西澤敬一 氏(にしざわけいいち)
オペラ演出家[日本]
2014年 10月18日 死去享年71歳
西澤 敬一(にしざわ けいいち、1944年(昭和19年)6月6日[1] - 2014年(平成26年)10月18日[2])は、日本のオペラ演出家。
西沢敬一[2]という表記も見られる。
経歴=
宮城県仙台市生まれ。
慶應義塾大学経済学部卒業[3]と同時に二期会オペラの制作部に所属[3]。
演出家としてのデビューは1967年(昭和42年)7月の東京声専音楽学校研究科第一回オペラ公演フロトー『マルタ』である[4]。
1968年(昭和43年)9月には日本オペラ研究会創立10周年記念創作オペラシリーズNo.4 林光『あまんじゃくとうりこひめ』菅野浩和『イソップの森』において林三好のもとで舞台監督助手[5]。
1968年(昭和43年)10月の東京声専音楽学校オペラ科第10回公演グルック『タウリスのイフィゲニア』(日本語上演)では歌詞の日本語訳と舞台監督を担当している[6]。
同年11月 - 12月の二期会・藤原歌劇団合同の石井歓『袈裟と盛遠』では、再び林三好のもとで舞台監督助手[7]。
1969年(昭和44年)1月 - 2月の二期会ワーグナー『ラインの黄金』においても同様に舞台監督助手[8]。
同年6月のヨハン・シュトラウス2世『こうもり』で栗山昌良の演出助手[9]となり、同年9月の宮原禎次『まぼろし五橋』錦帯橋物語では舞台監督[10]。
同年11月~12月の二期会モーツァルト『魔笛』では内垣啓一のもとで演出助手を務めている[11]。
1970年(昭和55年)2月の二期会ロッシーニ『セビリアの理髪師』では再び栗山昌良の演出助手[12]となり、以後、内垣啓一、 ……
西澤敬一さんが亡くなってから、10年と257日が経ちました。(3910日)