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野村万蔵(のむらまんぞう)

狂言方能楽師・6世[日本]

1978年 5月6日 死去胆管がん享年81歳

野村 万蔵(のむら まんぞう)は、能楽狂言方和泉流の名跡。
四世から六世までは「万造」を名乗った。
金沢の出身で当代は9世。
初世 野村万蔵 享保8年(1722年)- 寛政2年3月3日(1790年4月16日) 本名:保尚(やすひさ)、酒造業の次男。
幼名:八十郎。
二世 野村万蔵(前名:初世野村万之丞) 明和2年(1765年)- 文政6年8月29日(1823年10月3日) 本名:品常(しなつね)、初世の養子。
三世 野村万蔵 寛政8年3月5日(1796年4月12日)- 元治2年3月18日(1865年4月13日) 本名:直英(なおてる)、二世の次男。
長男が三世万之丞。
四世 野村万造 天保10年6月8日(1839年7月18日)- 明治9年(1876年)11月20日 本名:義比(よしちか)、三世の次男。
26歳で万造を襲名して父の跡目を継ぐかたわら、町役人も務める。
明治維新後は廃業して金沢博物館の書算方(事務員)となり失意のうちに早生。
五世 野村万造(隠居名:初世野村萬斎) 文久2年7月21日(1862年8月16日)- 昭和13年(1938年)1月14日 幼名:良吉、四世の長男。
明治16年(1883年)、万蔵家の分家に当たる野村与作を頼って東京へ移住。
当初は孤立し、生活のために市役所の戸籍係などを務めていたこともあったが、後に努力の甲斐あって東京の狂言界に大きな影響力を発揮するようになった。
次男は九世三宅藤九郎。
→ 詳細は「野村万造 (5世)」項を参照 六世 野村万蔵(前名:六世野村万造) 明治31年(1898年)7月22日 - 昭和53年(1978年)5月6 ……

野村万蔵が亡くなってから、46年と199日が経過しました。(17001日)

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