石井裕士 氏(いしいひろし)
プロゴルファー[日本]
2006年 12月27日 死去肺がん享年65歳
石井 裕士(いしい ひろし、1941年6月3日 - 2006年12月27日)は、静岡県出身のプロゴルファー。
旧名は「石井 弘」。
経歴=
1960年にプロ入りし、得意のフェードボールを駆使して活躍。
1969年の日本プロでは杉本英世が予選で姿を消し、河野高明・安田春雄が下位に低迷するという波乱含みの展開の中、日吉定雄と共に通算6アンダーで首位に立つ。
36ホールの勝負となった最終日は1打差の3位に後退していたが、午後は激しい雷雨でプレーは一時中断し、石井は再開直後の8番でバーディーを奪って勢いをつける。
最後の9ホールで34をマークして後続を突き放し、2位に浮上した杉原輝雄に5打差をつける圧勝で待ちに待った初優勝を挙げる。
大会3ヶ月前に肝癌で他界した父親の墓前に早く初優勝を報告したいという思いが石井を突き動かし、大会直前の6月に会場の春日井CCで開催された月例競技では65のコースレコードをマーク。
この実績もあって、同郷の先輩・内田繁は大会前に石井を優勝候補に挙げていた。
1971年には内田とペアを組んだ全日本プロダブルスを制し、1973年には中部オープンで豊田明夫をプレーオフで下すと、ブリヂストンオープンでは接戦の末に安田春雄を下して優勝。
1978年のブリヂストンオープンでは通算8アンダーで5年ぶり2度目の同大会優勝を飾り、1979年のダンロップ国際オープンでは3日目に首位に躍り出ると、通算10アンダーで優勝を飾る。
昭和40年代は期待の大型プレーヤーと ……
石井裕士さんが亡くなってから、17年と330日が経ちました。(6539日)