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南部晴政(なんぶはるまさ)

戦国大名[日本]

(天正10年1月4日没)

(ユリウス暦) 1582年 1月27日 死去享年66歳

南部晴政 - ウィキペディアより引用

南部 晴政(なんぶ はるまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
陸奥国の戦国大名。
本姓は源氏。
家系は清和源氏の一家系、河内源氏の傍系、甲斐源氏の流れを汲む。
南部氏24代当主。
生涯[編集] 家督相続[編集] 永正14年(1517年)、南部氏第23代当主・南部安信の嫡男として生まれる。
天文6年(1537年)、紫波郡で和賀義勝、斯波氏の軍勢と戦う。
天文8年(1539年)に家臣の赤沼備中に背かれて三戸城を焼かれ、多くの文書を失った。
この年、上洛して、室町幕府12代将軍・足利義晴より「晴」の一字を拝領された南部彦三郎とは、南部晴政のことであり、幕府から南部氏惣領の地位を認められたといえる。
天文9年(1540年)、戸沢政安、斯波経詮の岩手郡侵攻に対して叔父・石川高信を向かわせ、戸沢政安を秋田に追放し、斯波経詮を撃退して、岩手郡を手中に収める。
天文10年(1541年)、南部氏の家督を継いで第24代当主となった。
まずは謀反を起こした工藤氏を討ち、家臣により焼失させられた三戸城を再建して南部氏を統一する。
ただし、安信から晴政への家督相続に関しては疑問の点が多い。
近年の説では、この頃の南部氏は根城(八戸)系と三戸系に分裂しており、本来は根城系が南部氏宗家であったが、三戸系の晴政がこれを討ち取ったという見方がある。
またそもそも晴政と父・安信以前の系図に疑問点が多過ぎ、本当に三戸南部氏なのかどうかも疑わしい。

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