塩屋俊 氏(しおやとし)
映画監督、俳優[日本]
2013年 6月5日 死去急性大動脈解離享年57歳
塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日 - 2013年6月5日)は、日本の俳優・映画監督。
人物=
大分県大野郡野津町(現・臼杵市)出身。
本名 塩屋 智章(しおや のりあき)。
息子は俳優の塩屋准。
慶應義塾大学文学部教育学科卒業。
大学在学中、「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加し奈良橋陽子に師事する。
元々演出家志望だったが、1977年に英語ミュージカル『ヘアー』で主役を演じ、その後芸能界へ進出。
ネイバーフッド・プレイハウスのメソッド演技のレッスンを受け、以後国内外を問わず、テレビ、映画作品等への出演を重ねる。
1994年、「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現「アクターズクリニック」)。
自身の俳優業と並行して主宰として後進の育成に力を注いでいた。
アクターズクリニックでは相武紗季、桐谷健太、向井理、夏菜等多くの俳優を指導していた。
2013年6月5日、公演先の宮城県仙台市の東北電力ホールの楽屋で倒れ、仙台市内の病院へ救急搬送されたものの、同日午後2時56分、急性大動脈解離のために死去。
56歳没。
急逝した公演には「アクターズクリニック」の教え子の鈴木亮平や趣里が出演しており、塩屋は鈴木の才能を見出だし、何れは売れる俳優になると確信していた。
趣里についても 「お前は大丈夫、芝居をやったほうがいい」とずっと言い続けて励ましていたという。
死後、同年8月2日に交流のあった小堺一機等が発起人 ……
塩屋俊さんが亡くなってから、11年と121日が経ちました。(4139日)