星晃 氏
鉄道技術者[日本]
2012年 12月8日 死去享年95歳
星 晃(ほし あきら、1918年〈大正7年〉12月13日 - 2012年〈平成24年〉12月8日)は、日本の鉄道車両技術者である。
元日本国有鉄道(国鉄)副技師長、元川崎重工業常務取締役車両事業本部長。
富山県富山市出身。
1950年代から1960年代にかけての国鉄最盛期に、旅客車両(電車・客車)の開発に携わり、革新的な新型車両群を産み出した国鉄技術者の一人として知られる。
当時の車両設計技術やデザイン、接客設備など多方面の質的向上に、大きな役割を果たした。
また鉄道趣味界にも深く携わり、この方面でも同業の後継人物にとって貴重な資料・文献とされる多くの著述がある。
略歴=
1942年9月東京帝国大学第一工学部機械工学科を卒業し、鉄道省入り。
太平洋戦争終戦後間もなく、1945年9月7日陸軍召集解除により翌日運輸省鉄道総局に復帰し、客車設計の仕事に入った。
工作局客貨車課課長補佐として、80系湘南電車の車体・特別二等車・鋼体化客車・寝台車・食堂車・標準形三等車など、国鉄戦後復興の過程において、新たな近代化旅客車の設計を取り纏める任に当たった。
1952年9月大井工場車両課長に転出。
1953年11月から約1年間、軽量車両調査のためスイス、フランス、ドイツ、イタリアの各国鉄を視察して、帰国後10系軽量客車の設計に取り組んだ。
星の視察経験は、以後の国鉄旅客車両の技術革新に大きく役立てられることになった。
特に軽量車体の実用化を促し、客車・電車・気動車 ……
星晃さんが亡くなってから、11年と348日が経ちました。(4366日)