松平綱近(まつだいらつなちか)
出雲松江藩主[日本]
(宝永6年11月15日没)
1709年 12月15日 死去享年51歳
松平 綱近(まつだいら つなちか)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。
別名、綱通(つなみち)。
出雲国松江藩3代藩主。
官位は従四位下・出羽守、侍従。
雲州松平家3代。
生涯=
2代藩主・松平綱隆の四男として誕生した。
延宝元年(1673年)12月21日に元服し、父同様に4代将軍・徳川家綱より偏諱を授かり綱周(初名、読み同じ)を名乗り、従四位下・甲斐守に叙任される。
延宝3年(1675年)4月、父の死去により同年5月晦日に家督を継ぎ、諱を綱近に改める。
同年6月4日に出羽守に遷任する。
同年12月26日に侍従を兼任する。
財政が極度に悪化していたため、大梶七兵衛による開拓や製鉄・産馬の奨励、倉崎権兵衛による楽山焼の創始など様々な改革を行なったが、あまり効果はなかった。
このため、「祖父直政には劣なるべし」と史書で批判されている。
晩年は眼病を患った上、息子の早世などもあって、弟の近憲(吉透)を養嗣子として迎えた上で家督を譲って宝永元年(1704年)5月29日に隠居し、大内記に遷任した。
しかし、翌宝永2年(1705年)9月6日に吉透が急死し、その息子である宣維が藩主となるとその後見をした。
宝永6年(1709年)11月15日に51歳で死去した。
系譜=
父:松平綱隆(1631-1675)
母:亀姫 - 松平忠昌の娘
正室:松平康尚の娘
側室:慶成院 - 本間氏
生母不明の子女
嫡男:早世
長女:久姫
次女:1日で卒のため、名前はない
三女:銀姫
四女:万姫 - 毛利吉広 ……
松平綱近が亡くなってから、314年と339日が経過しました。(115028日)