天明7年12月13日生まれ。狩野探牧の次男。中橋狩野家の泰信の養子となり、その跡を継ぐ。朝鮮への贈呈屏風や江戸城西の丸の障壁画の制作などに参加。天保2年(1831)、法眼となる。天保11年2月20日死去。54歳。号は探芳、祐清。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
狩野邦信が亡くなってから、184年と242日が経過しました。(67448日)