玉川スミ 氏(たまがわすみ)
三味線漫談家[日本]
2012年 9月25日 死去心不全享年93歳
玉川 スミ(たまがわ すみ、1920年7月17日 - 2012年9月25日)は、女流俗曲師(音曲師、三味線漫談家)。
本名は中川(なかがわ) スミ。
落語芸術協会に所属し、参与を務めた。
福島県郡山市出身。
人物=
父が浪曲師の桃中軒雲工(桃中軒雲右衛門の弟子)で、父の影響で少女浪曲師として初舞台を踏む。
初舞台は3歳のときで、14歳までに13回親が変わっている。
その後、女歌舞伎、新派、喜劇、民謡、女道楽、漫才、都々逸、松づくし等あらゆる寄席芸を習得し、漫才では「桂小豆」の名で「大朝家シゲオ」(後の「宮アオバ・シゲオ」の「宮シゲオ」)や、大江茂(妻は大江笙子)とコンビを組んだ。
1971年、文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞し、1991年には勲五等宝冠章を受章している、2002年、松尾芸能賞・特別賞受賞。
以降は、落語芸術協会定席を中心に高座を勤める一方で、日本テレビ系の時代劇『桃太郎侍』では、上方屋の女将・おはる役として長らくレギュラー出演した。
1991年3月、宮崎県延岡市の今山大師で得度を受け、「澄光尼」の法号を授かった。
晩年は人のオーラが見えると発言しており、「オーラのおスミ」として、「芸協らくごまつり」などで占いの余興を行っていた。
桂米助は「寄席の世界のシーラカンス」、また瀧川鯉昇は「我々の業界の最長老」と称した。
2012年9月25日、心不全のため死去。
92歳没。
出演番組=
桃太郎侍(1976年 - 1977年、日本テレビ) - おはる 役
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玉川 スミさん(たまがわ・すみ、本名中川スミ=寄席芸人最高齢の三味線漫談家) 25日午前4時18分、心不全のため東京都文京区の病院で死去した。92歳。福島県出身。葬儀は近親者で済ませる予定で、後日お別れの会を開く。 浪曲師の父親を持ち、3歳の時に女歌舞伎一座に引き取られた。劇団や民謡一座を転々とし、漫才に転向。1958年に三味線漫談を一人で始めた。120本の扇子を使って松の木をかたどる「松づくし」を考案し、71年度の芸術祭優秀賞(大衆芸能部門)を受賞した。 2010年11月20日に浅草演芸ホールに出演したのが最後の舞台となった。
玉川スミさんが亡くなってから、12年と57日が経ちました。(4440日)