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笹森順造

政治家、剣道家[日本]

1976年 2月13日 死去肺炎享年91歳

笹森順造 - ウィキペディアより引用

笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年〈明治19年〉5月18日 - 1976年〈昭和51年〉2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。
位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。
称号は政治学士、剣道範士。
東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。
経歴= 青年期= 青森県中津軽郡弘前町弘前若党町(現:弘前市若党町)に旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。
8歳で北辰堂道場に入門し、小野派一刀流剣術を学ぶ。
14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。
1910年、早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院を修了。
南加州日本人会書記長を務めた。
教育= 1922年、再興された東奥義塾に塾長として迎えられ18年間勤務。
1939年に青山学院院長となり、日米関係悪化による外国人教員の帰国、神学部閉鎖などの難局に対処するも、教員人事問題に端を発する学内混乱により1943年に院長を辞任した。
政治= 第二次世界大戦後の1946年、第22回衆議院議員総選挙に青森県全県区から無所属で出馬し、トップ当選を果たす。
以降、連続当選4回。
院内交渉団体の新政会をまとめ、国民党を結成。
同党は1947年に協同民主党と合併して国民協同党となり、笹森は代議士会会長となった。
同年発足の片山内閣に国務大臣として入閣し、復員庁総裁(1947年) ……

笹森順造が亡くなってから、48年と282日が経過しました。(17814日)

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