黒田泰治(くろだやすじ)
武術家[日本]
(号・鉄心斎)
1976年 12月10日 死去享年80歳
黒田 泰治(くろだ やすじ、1897年(明治30年) - 1976年(昭和51年)12月10日)は武術家。
号は鉄心斎。
身長165cm。
黒田家に代々伝わってきた武術である民弥流居合術、駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、椿木小天狗流棒術、誠玉小栗流殺活術を引き継ぐ振武館の道場主。
父は黒田正郡。
振武館の技は泰治の子の黒田繁樹、そして孫の黒田鉄山へと継承された。
古武術の高度な理合を昭和の時代に体現することのできた達人であったと評される。
年譜=
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(2020年7月)
明治30年(1897年) 富山県富山市に生まれる。
明治34年(1901年) 父正郡を師として武門に入る。
明治37年(1904年) 父正郡と大日本武徳会の京都武徳殿大会に出場し駒川改心流剣術内表太刀を演じ有栖川宮(ありすかわのみや)より特に賜杯(しはい)を受ける。
明治42年(1909年) 四心多久間流柔術、駒川改心流剣術の目録状を授与される。
大正3年(1914年) 民弥流居合術、誠玉小栗流殺活術の目録及び四心多久間流柔術免許状を授与される。
大正5年(1916年) 椿木小天狗流棒術目録状、駒川改心流剣術免許状及四心多久間流柔術皆伝印可を受ける。
埼玉県北足立郡大宮町高鼻(現:さいたま市大宮区高鼻町)に町道場を開く。
大正12年(1923年) 民弥 ……
黒田泰治が亡くなってから、47年と346日が経過しました。(17513日)