内山真龍(うちやままたつ)
国学者[日本]
(文政4年8月22日没)
1821年 9月18日 死去享年82歳
内山 真龍(うちやま またつ、1740年1月29日(元文5年1月1日)- 1821年9月18日(文政4年8月22日))は、江戸時代中期から後期の国学者である。
初名は市六後に龍麿。
通称は彌兵衛、徳右衛門。
号は龍洞等。
本姓は藤原。
経歴=
商人の内山美真の長男として遠江の豊田郡大谷村(現在の静岡県浜松市天竜区)に生まれる。
家業を継いだ後の1760年(宝暦10年)に転居し、1762年(宝暦12年)11月に賀茂真淵・渡辺蒙庵・田中道麿の門人となった。
1996年11月、故郷の浜松市で真龍の資料館が創設された。
業績=
真淵からは和歌や『日本書紀』といった古文学や蒙庵からは儒学を学び、後に本居宣長と協力して遠江における国学の基礎を築いた。
真龍の学問の特徴は、実地踏査を主とした実証的実利的なところにあり、『出雲風土記解』『遠江国風土記伝』『日本紀類聚解』などの著述を残した。
『日本紀類聚解』は光格天皇の天覧を得て絶賛された。
その後、『風土記』の研究のために全国を訪れ、多くの儒学者や詩人等と親交を持った。
また、同時期に多くの国学者を輩出し、遠江国学の発展に尽くした。
主な弟子=
石塚龍麿
夏目甕麿
小国重年
高林方朗
主な著作物=
主著=
『日本紀類聚解』- 1812年(文化9年)刊行。
写本で、全15巻からなる。
『出雲風土記解』- 1787年(天明7年)刊行。
写本で、全3巻からなる。
その他の著書=
『遠江風土記伝』- 1789年(寛政元年)刊行。
『国号考』- 1796 ……
内山真龍が亡くなってから、203年と63日が経過しました。(74209日)