村山龍平
政治家、朝日新聞社元社主[日本]
1933年 11月24日 死去享年84歳
村山 龍平(むらやま りょうへい、1850年5月14日(嘉永3年4月3日) - 1933年(昭和8年)11月24日)は、日本の新聞経営者。
朝日新聞社社主・社長、政治家。
衆議院議員、貴族院議員。
玉城町名誉町民第1号。
来歴・人物=
嘉永3年(1850年)、伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)に生まれる。
幼名は直輔。
実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。
幼少時代は腕白なガキ大将で、喧嘩に負けそうになると小刀を振り回し、両親や近所の人を困らせていた。
しかし文久3年(1863年)冬に、母が重病になってからは改心し、母の平癒を祈り、冷静沈着な少年に変わった。
慶応3年(1867年)からは田丸城に勤番した。
明治4年(1871年)に一家を挙げて大阪に移住し、父とともに西洋雑貨商「村山屋」(後に「田丸屋」→「玉泉舎」)を営む。
明治11年(1878年)7月に大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)の最初の議員に選ばれる。
明治12年(1879年)に朝日新聞の創刊に参加。
明治14年(1881年)、木村平八・騰父子から同紙の所有権を獲得、上野理一と共同経営にあたる(明治41年(1908年)以後は1年おきに社長)。
明治24年(1891年)に第1回衆議院議員総選挙補欠選挙で衆議院議員に当選。
以後、第2回、第3回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた。
その他、大阪府会議員、大阪市会議員などを歴任。
大正7年(1918年)に白虹事件で暴行を受ける。
昭和5年(1930年)12月23日に貴族院勅 ……
村山龍平が亡くなってから、90年と362日が経過しました。(33235日)