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ヴァーシリー・ゴローニンVasillii Golovnin

ロシア帝国海軍軍人[ロシア]

(幕府に捕まるが高田屋嘉兵衛と引き換えで釈放)

1831年 7月11日 死去コレラ享年56歳

ヴァーシリー・ゴローニン - ウィキペディアより引用

ヴァシーリイ・ミハーイロヴィチ・ゴロヴニーン(ロシア語: Васи́лий Миха́йлович Головни́н, ラテン文字転写: Vasilii Mikhailovich Golovnin、1776年4月19日(ユリウス暦4月8日) - 1831年7月11日(ユリウス暦6月29日))は、ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家、学者。
表記揺れ= 姓はゴロヴニン、ゴローヴニン、ゴロブニン、ゴローブニン、ゴローニン、ゴロウニン、名はヴァシーリイ、ヴァシーリー、ヴァシリー、ワシーリー、ワシリー、ワーシリーなど、表記揺れが激しい。
最も一般的なゴローニンは「ゴロヴニン」の「ヴ」の濁点が欠落し「ゴロウニン」と表記されたことによる。
人物・来歴= 1776年4月8日(ユリウス暦)、父祖伝来の領地であるモスクワの東南120マイルほどのリャザン州グーリンキで生まれる。
9才で両親を失くし、孤児となる。
2人の幼い弟と共に彼を引き取った親戚は、財政面での理由から、この少年をクロンシュタット海軍兵学校の学生軍事教練隊へ入学させることに決めた。
14才で海軍士官候補生に任じられる。
1802年、特別選抜された12名の海軍士官の一人として、イギリスのポーツマスへ留学。
1806年にサンクト・ペテルブルグに戻った彼は、まもなくディアナ号に配属され、艦長に任じられた。
1807年、北太平洋海域の地理調査の命令を受けて、ディアナ号で世界一周航海に出る。
1811年、千島列島の測量中、択捉島、国後島を訪れるが、先の文化露寇 ……

ヴァーシリー・ゴローニンが亡くなってから、193年と146日が経過しました。(70639日)