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伊達宗敦(だてむねあつ)

仙台藩知事、男爵[日本]

1911年 1月6日 死去享年60歳

伊達宗敦 - ウィキペディアより引用

伊達 宗敦(だて むねあつ)は、仙台藩知藩事(在任中の伊達家の当主は30世14代伊達宗基のまま)で、13代仙台藩主・伊達慶邦の養嗣子(のち廃嫡)。
位階・勲等・爵位は正三位勲四等男爵。
略歴[編集] 伊予国宇和島藩主・伊達宗城の次男(五男とも)。
幼名は経丸。
慶応4年(1868年)3月、仙台藩主・伊達慶邦の養子となった。
当初は婿養子となるはずであった。
同年、従四位下・侍従・左京大夫に叙任する。
同年8月、奥羽列藩同盟に組したことから、慶邦と共に新政府から官位を剥奪される。
11月、仙台藩の降伏に伴い、慶邦と共に東京に護送されて、良源院で謹慎する。
12月、慶邦が奥羽列藩同盟の盟主となったために新政府軍から隠居、謹慎を申し付けられたとき、宗敦も廃嫡された。
なお、仙台伊達家は慶邦の四男・宗基が跡を継いだ。
明治2年(1869年)9月、慶邦と共に謹慎を解かれる。
同年、版籍奉還が行われ、宗基は知藩事になったものの、幼少のために政務を執ることができず、11月に宗敦は知藩事の補佐を命じられる。
明治3年(1870年)10月、新政府は宗基の代わりに宗敦を新たな知藩事として任命した。
宗敦は知藩事として実質的な政務を行ったが、伊達家当主は宗基のままであり、当主歴代には数えない。
明治4年(1871年)の廃藩置県により、知藩事を退任する。
同年10月、明治政府からイギリス留学の許可を得る。
語学修学を目的に5年間の自費留学を予定して ……

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伊達宗敦が亡くなってから、113年と203日が経過しました。(41476日)