冷泉為景(れいぜいためかげ)
公家、歌人[日本]
(慶安5年3月15日没)
1652年 4月23日 死去享年41歳
冷泉 為景(れいぜい ためかげ)は、江戸時代前期の公家・歌人。
官位は正四位下・左近衛中将。
下冷泉家8代当主。
実の姪・貞子は後光明天皇の典侍である事でも知られる。
経歴=
高名な儒学者であった父の惺窩は、冷泉家(下冷泉家)の冷泉為純の三男として生まれたが、下冷泉家の所領であった播磨国三木郡(美嚢郡)細川庄(現在の兵庫県三木市)で生まれた庶子であったため、下冷泉本家を継がなかった。
為純と子の冷泉為勝が戦死したのちも、惺窩は弟の為将に下冷泉家を継がせた。
慶長17年(1612年)、為景は藤原惺窩の長男として誕生。
父の影響もあり、幼い頃より歌を能くしたという。
正保4年(1647年)、叔父・冷泉為将の死去に伴い、勅命により下冷泉家を相続する。
後光明天皇の侍講として活躍し、松永貞徳や中院通村等の当時の一流の文人達とも交流があった。
水戸藩2代藩主・徳川光圀とも交流を持ち、慶安4年(1651年)朝廷使節団の江戸下向に伴い対面を果たした。
慶安5年(1652年)、肺病を患い、辞世の句も読めぬまま亡くなった。
享年41。
歌集に「冷泉為景朝臣歌集」がある。
また、寛永16年(1639年)に筆写したという「春寝覚」が伝わっている。
系譜=
父:藤原惺窩(1561-1619)
母:不詳
養父:冷泉為将
妻:不詳
男子:冷泉為元
女子:正親町三条実昭室
冷泉為景が亡くなってから、372年と221日が経過しました。(136094日)