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秋山徳蔵(あきやまとくぞう)

料理人[日本]

1974年 7月14日 死去享年87歳

秋山徳蔵 - ウィキペディアより引用

秋山 徳蔵(あきやま とくぞう、1888年(明治21年)8月30日 - 1974年(昭和49年)7月14日)は、日本の料理人。
大正期から昭和期にかけて宮内省(のち宮内庁)で主厨長を務めた。
位階・勲等は正四位勲三等。
フランス料理アカデミー名誉会員。
その生涯を描いた小説やドラマ化作品のタイトルから「天皇の料理番」として知られる。
皇室の食卓を預かり、宮中で行われる公式行事の料理を掌るのみならず、日本における西洋料理の普及にも大きな足跡を残した。
生涯= 1888年(明治21年)、福井県今立郡村国村(国高村村国、現・越前市村国三丁目)において、裕福な料理屋の次男として生まれる。
旧姓は高森。
高森家は大地主で庄屋だった。
幼少期にはおさまらない性質だったという。
10歳の時、学校友達が禅寺の小坊主になっているのを見て自分もなりたくて堪らなくなり無理を言って寺に入れさせてもらったが、その禅寺でもいたずらは治まらず1年で追い出されたという。
(因みに、小僧時代の法名は「徳有」。
)武生町橘にあった「八百勝」で働く。
秋山が自著『味』で記したところによれば、鯖江にあった陸軍の連隊を訪ねた際に食堂でそれまでに嗅いだことのない香ばしい匂いに触れたことが西洋料理との出会いであったという。
実家の仕出し屋が三十六連隊の将校集会所の賄いをやっていた関係で集会所を訪ね、そのとき初めて口にした洋食・カツレツの味に衝撃を受け西洋料理 ……

秋山徳蔵が亡くなってから、50年と130日が経過しました。(18393日)