樫尾俊雄 氏(かしおとしお)
カシオ計算機名誉会長[日本]
2012年 5月15日 死去肺炎享年87歳
樫尾 俊雄(かしお としお、1925年(大正14年)1月1日 - 2012年(平成24年)5月15日)は、日本の実業家。
カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(次男)。
四兄弟の役割分担では開発を担い、カシオミニなど数々のヒット商品の開発に貢献。
カシオ計算機会長を務めた。
経歴・人物=
東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)出身。
子ども時代にトーマス・エジソンの伝記を読んで触発され、発明の道に進んだ。
昭和の発明王の一人で、生涯で共同名義のものを含めて313件もの特許を取得した。
1940年に電機学校(現・東京電機大学)を出て逓信省に入省。
10代のころから研究一筋で、モールス信号の送信の研究に青春をささげた。
1946年、逓信省を退官し、兄・樫尾忠雄の樫尾製作所に参加する。
1957年、カシオ計算機の設立に際し、兄弟とともに創業メンバーとなり、取締役技術部長を務める。
1988年より会長、2011年より名誉会長を務めた。
カシオ計算機では、カシオの名を広めた世界初の個人向け電卓であるカシオミニ、デジタル式腕時計のG-SHOCKやデジタルカメラを一般化させたQV-10の開発にも深くかかわった。
1984年、藍綬褒章を受章。
2007年、東京電機大学から名誉博士号を授与された。
没後の2013年に、東京・成城の自宅の一部を用いて、樫尾の業績を記念した「樫尾俊雄発明記念館」が開設された。
また自宅庭園部分の一部についても「成城4丁目発明の杜」として公開 ……
樫尾 俊雄氏(かしお・としお=カシオ計算機名誉会長)15日午前5時15分、肺炎のため埼玉県新座市の病院で死去、87歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。後日お別れの会を開く予定。連絡先は同社秘書室。 カシオ計算機を創業した樫尾4兄弟の次男。57年の設立時から取締役に就任、専務、会長を歴任した。
樫尾俊雄さんが亡くなってから、12年と190日が経ちました。(4573日)