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滝正男 氏(たきまさお)

中京大学名誉教授[日本]

(元アマチュア野球指導者)

2012年 4月2日 死去心不全享年90歳

瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。
長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。
経歴・人物= 愛知県一宮市出身。
1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。
1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。
バッテリーを組んだのは野口二郎であった。
中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。
終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
復員後は出身地の一宮市で繊維メーカーに就職した。
1950年に肺結核に罹患し、肋骨を6本失う手術を経験した。
その後野球指導者に転身、1949年に愛知県立起工業高等学校野球部監督に、1953年には中京商業高等学校野球部部長に招聘されて就任。
機動力野球をモットーに掲げた。
中京商業高等学校野球部部長・監督として1954年には中山俊丈をエースに起用し第36回全国高等学校野球選手権大会で優勝、また第28回選抜高等学校野球大会(1956年)でも日本一を果たしている。
また1956年に中京大学硬式野球部初代部長に就任、以後は1983年まで中京大学野球部の指導者としてこの間には愛知大学野球リーグで ……

滝 正男氏(たき・まさお=中京大名誉教授、元アマチュア野球指導者)2日午後6時25分、心不全のため愛知県日進市の病院で死去、90歳。同県出身。自宅は同市藤塚3の472。葬儀は6日午後0時半から名古屋市昭和区川名山町115の香積院で。喪主は長男克己(かつみ)氏。 高校野球の名門、愛知・中京商(現中京大中京高)の選手で1937年夏、38年春の2度、監督としても54年夏、56年春の2度甲子園大会で優勝。中京大の監督兼部長も務め、1970年の全日本大学選手権で初優勝に導いた。元プロ野球中日の木俣達彦氏、高校野球の沖縄水産高で監督を務めた栽弘義氏(故人)の他、多数の教え子がいる。

滝正男さんが亡くなってから、12年と233日が経ちました。(4616日)

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