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相星雅子 氏(あいぼしまさこ)

作家[日本]

(1937年、旧満州大連生まれ)

2019年 3月12日 死去大動脈弁狭窄症享年83歳

相星 雅子(あいほし まさこ[1]、1937年10月23日[2] - 2019年3月12日[3])は、日本の小説家、エッセイスト、コラムニスト。
日本ペンクラブ会員、『九州文学』同人[4]。
鹿児島県を中心に活動し、地方文芸誌『小説春秋』や鹿児島ペンシルクラブを主宰した。
経歴= 関東州(満洲国の日本租借地)大連市生まれ[2][3][4][5]。
父は南満洲鉄道勤務だった[4]。
奉天市で終戦をむかえ[4]、1946年に父母の故郷鹿児島市に引き揚げ[2][4]。
1956年に[4]鹿児島県甲南高等学校を卒業[1]。
家庭の事情で大学進学を断念し[4]、九州電力に勤務した後、結婚して退職し3人の子を育てる[2]。
1973年に鹿児島の文芸同人誌『原色派』で小説を書き始める[2][3]。
1989年、短編小説集『みなみのポプラ』を出版[1]。
1990年、「下関花嫁」で第18回南日本文学賞受賞[1][2][3]。
同年、日本ペンクラブに入会[1]。
1994年に同人誌『小説春秋』を創刊し編集発行人を務める[1][2][3]。
1995年、鹿児島県芸術文化奨励賞を受ける[2]。
1997年に鹿児島ペンシルクラブを設立し代表を務めた[2][3]。
また、1997年秋に放送大学鹿児島学習センターが開設されるのを機に入学を決意し、同年春のうちに熊本学習センター所属で入学し、鹿児島学習センター設立時に移籍、4年間計画的に単位を取得して卒業した[4]。
2008年から、島尾敏雄や五代夏夫の後を継いで南日本新聞新春文芸(地元新聞社の公募企画)小説部門の選考委員となり、2016年まで務めた[3]。
……

相星雅子さんが亡くなってから、6年と112日が経ちました。(2304日)

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