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古山良司 氏(ふるやまりょうじ)

競馬騎手、調教師[日本]

(タケシバオーの主戦ジョッキーを務めた)

2011年 8月22日 死去病気享年82歳

古山良司 - ウィキペディアより引用

古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。
神奈川県横浜市出身。
父は騎手の古山喜三郎。
概要= 1950年に騎手デビュー。
早くより頭角を現し、1950年代から1960年代にかけて第一線の騎手として活動、「戦後派ナンバーワン」との評を取り、コマツヒカリで東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、「走る精密器械」と呼ばれたタカオー、「怪物」タケシバオーといった名馬の主戦騎手を務めた。
騎手通算は4409戦619勝、うち八大競走5勝を含む重賞24勝。
1970年より調教師に転身し、美浦トレーニングセンターに所属。
2000年の引退までに数々の重賞勝利馬を手掛けた。
調教師通算4541戦372勝、うち重賞18勝。
経歴= 1929年、神奈川県横浜市根岸に生まれる。
父・喜三郎は横浜競馬場・杉浦照厩舎所属の騎手であった。
1942年に県立商工実習学校商業科に入学するも、前年末に太平洋戦争が勃発、戦況悪化とともに学業よりも勤労動員がもっぱらとなっていった。
古山は農作業などに従事していたが、「なぜいい若い者がこんなことをやっているのか」と不満を抱き、1944年に予科練に入隊、霞ヶ浦航空隊で特攻要員の飛行練習生となった。
しかし翌1945年6月10日の空襲で左脚を負傷、さらに療養中に盲腸炎を発症し、その療養中に終戦を迎えた。
なお、負傷の後遺症から古山は左脚が右脚よりも数センチメートル短くなり、騎 ……

古山良司さんが亡くなってから、13年と85日が経ちました。(4833日)

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