幕末の画家。天明3年生まれ、尾張生。名は栄興、別号は雪香斎・無我道人・純恵。はじめ岩井正斎、のち狩野養川院に学ぶ。仏画を修め、薙髪して真宗の岐阜浄導寺に入り、上洛して画を献じ法眼に叙せられた。また富岳の画にも妙を得る。安政4年(1857)歿、75才。(参照元・美術人名辞典)
松野梅山が亡くなってから、167年と60日が経過しました。(61057日)