工藤甲人 氏(くどうこうじん)
日本画家[日本]
2011年 7月29日 死去老衰享年97歳
工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎすけ)[1]、1915年7月30日[1] - 2011年7月29日[1][2][3])は、日本の画家、日本画家。
創画会会員。
東京芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授。
来歴=
青森県弘前市出身[1]。
1934年に上京し[1]、翌年から川端画学校日本画科に入学[1]。
岡村葵園や福田豊四郎に師事した[1]。
1962年、弘前市から神奈川県平塚市に転居[1]。
1971年東京芸術大学助教授[1]、1978年同教授[1]。
1983年定年退官後、名誉教授[1]。
1988年、沖縄県立芸術大学客員教授[1]。
2002年、神奈川県庁に飾られていた工藤の作品が盗難の被害に遭った[4]。
2011年7月29日、老衰のため神奈川県平塚市で死去[3]。
95歳没[2]。
自然の昆虫や小動物、植物の葉などを繊細な描線で描き、その周りを群青などの単色の岩絵具で色面を大きく取り、装飾的に感じるような構図が特徴とされる。
郷愁や宗教感を感じさせる鮮麗で夢幻的な心象世界を描き出し、現代日本画に新生面を切り拓いたと評される[1]。
賞詞=
1951年 第1回新制作協会日本画部新作家賞受賞[1]
1956年 第6回新制作協会日本画部新作家賞[1]
1963年 神奈川県立近代美術館賞[1]
1964年 現代日本美術展優秀賞[1]
1982年 美術文化振興協会賞[1]
1988年 芸術選奨文部大臣賞[1]
1989年 勲四等旭日小綬章受章[5]
1992年 毎日芸術賞受賞[1]
1996年 弘前市名誉市民[5]
代表的な作品=
『示現』 紙本・彩色・額(1面)116.5×79.9cm 1976年
『目屋の渓流』など。
主 ……
工藤 甲人氏(くどう・こうじん、本名儀助=ぎすけ=日本画家)29日午後2時48分、老衰のため死去、95歳。青森県出身。葬儀は8月3日正午から東京都港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿蓮華の間で。喪主は長男正志(まさし)氏。 自然をモチーフにした幻想的な画風で知られ、創画会の設立に参加した。東京芸大名誉教授。(2011/07/30-22:23)
工藤甲人さんが亡くなってから、13年と339日が経ちました。(5087日)