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河西三省(かさいさんせい)

アナウンサー[日本]

(元日本放送出版協会社長)

1970年 12月2日 死去享年73歳

河西三省 - ウィキペディアより引用

河西 三省(かさい さんせい、本名読み:かさい みつみ、1898年(明治31年)9月16日 - 1970年(昭和45年)12月2日)は、日本のアナウンサー、実業家。
昭和初期におけるラジオのスポーツ中継番組の実況アナウンスで広く知られ、現場を離れたのちはNHK浜松放送局長、日本放送出版協会社長を務めた。
略歴・人物= 東京府(現・東京都)出身。
慶應義塾大学中退後、時事新報社に入社する。
運動部記者として勤務するかたわら、全国中等学校野球大会の期間中に日比谷公園に設置されていた試合速報掲示板「プレーヤーズ・ボールド」の解説員として好評を博す。
これを受けて、1927年(昭和2年)の第13回大会の決勝戦中継における東京側のスタジオ解説者に起用される。
1929年(昭和4年)、本格的にスポーツアナウンサーに転じるためNHKに入局した。
野球中継においては、「河西の放送を聴けば、そのままスコアブックをつけることが可能である」と評されるほどの豊富かつ克明な描写で知られた。
1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピックにおいて、松内則三、島浦精二とともに、日本初の海外からのスポーツ中継を行ったアナウンサーのひとりとなる。
1936年(昭和11年)には、山本照とともにベルリンオリンピックの放送を担当した。
河西は8月11日に行われた競泳女子200メートル平泳ぎ種目の決勝戦の放送を担当し、河西の疲労の蓄積や日本の前畑秀子とドイツのゲネンゲルによる凄絶なレース展 ……

河西三省が亡くなってから、53年と355日が経過しました。(19713日)