星野勘太郎 氏(ほしのかんたろう)
元プロレスラー[韓国]
2010年 11月25日 死去肺炎享年67歳
星野 勘太郎(ほしの かんたろう、1943年10月9日 - 2010年11月25日)は、在日韓国人の元プロレスラー、プロモーター。
本名は呂 建夫(ヨ・コンブ、여건부)、通名、星野 建夫(ほしの たつお)。
兵庫県神戸市出身。
リングネームの勘太郎は、長谷川一夫主演の映画『伊那の勘太郎』から豊登に付けられたもの。
「突貫小僧」の異名をもつ。
来歴=
現役時代=
高校時代はボクシングに打ち込み、卒業後にプロボクサーを目指しジムに入ろうとするがリーチの長さが足りず断念。
1961年10月に日本プロレス入門。
同年12月22日、東京のリキ・スポーツパレスにおける駒厚秀戦でデビュー。
1967年1月、山本小鉄と共にアメリカ武者修行に出立。
カリフォルニア州ロサンゼルスのWWAを皮切りに、小型でもパワフルであると評判だったヤマハの日本製オートバイにあやかったヤマハ・ブラザーズ(The Yamaha Brothers)のチーム名のもと、テネシー州メンフィスを拠点とするNWAミッドアメリカ(後のCWA)を主戦場に活動した。
テネシーでは観客に発砲されたり、ナイフを脳天に突き立てられたりしたこともある。
老人で力が弱かったため深く刺さらず事なきを得た。
凱旋帰国後は、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲と組んでの6人タッグマッチなどでメインイベントにも度々登場。
1970年には猪木のパートナーに起用されて第1回NWAタッグ・リーグ戦に出場、決勝戦でニック・ボックウィンクル&ジョニー・ ……
星野勘太郎さんが亡くなってから、13年と362日が経ちました。(5110日)