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ディノ・デ・ラウレンティス 氏Dino De Laurentiis

映画プロデューサー[イタリア]

2010年 11月10日 死去享年92歳

ディノ・デ・ラウレンティス - ウィキペディアより引用

ディノ・デ・ラウレンティス(Dino De Laurentiis, 1919年8月8日 - 2010年11月11日)は、イタリア出身の映画プロデューサー。
ディーノ・デ・ラウレンティスの表記もある。
本名はアゴスティーノ・デ・ラウレンティス(Agostino De Laurentiis)。
略歴= ローマで映画製作を学んだが、第二次世界大戦勃発により中断。
1940年の『L'ultimo Combattimento』より150本以上の映画のプロデュースを手掛けている。
インディペンデントのプロデューサーとしてはカルロ・ポンティとともに業界最高峰の人物で、生きる神話の一人とも呼ばれた。
1957年、『道』でアカデミー外国語映画賞(第29回)を受賞。
1962年(昭和37年)3月に来日している。
2001年、第73回アカデミー賞でアービング・G・タルバーグ賞を受賞。
2010年11月11日、ロサンゼルスで死去。
91歳没。
私生活= 1949年にイタリアの女優シルヴァーナ・マンガーノと結婚。
4人の子供をもうける(次女は映画プロデューサーのラファエラ・デ・ラウレンティス)が、1989年に死別。
最後の妻は映画プロデューサーで40歳近く年下のマーサ・シューマッカーで、2人の子供がいる。
主なプロデュース作品= にがい米 Riso amaro (1949年) ヨーロッパ一九五一年 Europa '51 (1952年) 道 La Strada (1954年) ユリシーズ Ulisse (1954年) マンボ Mambo (1954年) ローマの女 La Romana (1955年) 河の女 La Donna del fiume (1955年) 戦争と平和 War and Peace (1956年) カビリアの夜 Le Notti di Cabiria (1957 ……

ディノ・デ・ラウレンティスさんが亡くなってから、14年と11日が経ちました。(5125日)

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