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大麒麟將能 氏(だいきりんたかよし)

相撲力士・元大関[日本]

2010年 8月4日 死去膵臓がん享年69歳

大麒麟將能 - ウィキペディアより引用

大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。
本名は堤 隆能(つつみ たかよし)。
最高位は東大関。
現役時代の体格は181cm、140kg。
得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり。
来歴= 中学生の頃は柔道の選手として活躍。
また生徒会長を務めるなど人望もあり、体力のみならず学力にも秀で、将来は防衛大学校を目指していたといわれ、後に理論、頭脳明晰として知られる人物の片鱗を見せていた。
その素質に目をつけた二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)に勧誘され1958年(昭和33年)5月場所本名のまま初土俵。
後に「麒麟児」と改名(新十両の1962年(昭和37年)7月場所のみ「麒麟兒」、翌9月場所「麒麟児」に改名)。
幕下に上がった頃に寄生虫に寄生されて体調を崩し、恥ずかしくて人に言えない中で虫下しを飲んで自己流で治療したが4ヶ月間に渡って捗々しい効果が得られなかった。
1961年3月場所前、ついに恥を忍んで大阪市内にある病院に向かい、回虫ではなく虫下しの無効なサナダムシに寄生されていることが判明。
専用の治療薬を貰って有効な治療を開始した。
3月場所は負け越して4場所連続の負け越しとなったが、場所中に10mものサナダムシを排出して治療に成功した。
1963年(昭和38年)9月場所新入幕。
しかしその場所9日目の朝稽古で左脚を負傷(左脛骨 ……

大麒麟將能さんが亡くなってから、14年と124日が経ちました。(5238日)