浅川マキ 氏(あさかわまき)
歌手[日本]
2010年 1月17日 死去心不全享年69歳
浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 2010年1月17日)は、日本の歌手、作詞(詩)家、作曲家、編曲家。
淺川マキと綴られることもある。
本名:森本悦子。
略歴=
石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。
石川県立金沢二水高等学校卒業。
浅川マキは詳しい生い立ちを公表せず、学習研究社が1980年5月に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」では「1961年に法律の勉強をするため上京。
その後某放送局ののど自慢で8人抜きをしたことから、浜口庫之助に認められ歌の世界に入る。
黒人霊歌やジャズなどを得意とする」などと書かれている。
町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。
マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプやキャバレーなどで歌手として活動を始める。
1967年にビクターからシングル『東京挽歌/アーメン・ジロー』を発表するも本人と事務所の音楽的指針に大きな乖離があり、当時の出来事がその後の活動に影響を与えた。
1968年、寺山修司と寺本幸司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。
東芝音楽工業株式会社に移籍。
1969年7月1日、寺本幸司のプロデュースによる『夜が明けたら / かもめ』(EXPRESS-レーベル)で正式にレコード・デビュー。
以後移籍することなく作品を発表 ……
浅川マキさんが亡くなってから、15年と221日が経ちました。(5700日)