山田和利 氏(やまだかずとし)
元プロ野球選手、コーチ[日本]
(息子は俳優の山田裕貴。)
2025年 8月16日 死去享年61歳

山田 和利(やまだ かずとし、1965年6月3日 - 2025年8月16日)は、愛知県名古屋市中村区出身のプロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。
経歴=
東邦高から、1983年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。
レギュラーには定着できなかったものの、1988年には立浪和義の控えではあるが、主に遊撃手として起用され82試合に出場した。
広島戦では津田恒実からプロ初のサヨナラ適時打を放った。
1991年、長嶋清幸とのトレードで音重鎮と共に広島東洋カープに移籍。
1992年には、5月から三塁手、一塁手として起用され、8月には故障欠場の正田耕三に代わり二塁手、二番打者に定着する。
同年は82試合に先発出場を果たす。
1995年には、開幕前に故障したルイス・メディーナに代わり音重鎮と共に一塁手での起用が増え、前田智徳が故障後に音が外野での起用が増えた関係で一塁の定位置を獲得(この年一塁ではチームトップの70試合に出場)。
外野手も兼ねてキャリアハイの活躍でチームの2位躍進に貢献するが、シーズン終盤には故障で離脱した。
1996年に中日で星野仙一が監督に復帰すると、若林隆信とのトレードで再び音重鎮とともに中日に復帰したが、故障によりその年限りで引退した。
1997年よりコーチに転身し、二軍打撃コーチに就任する。
1998年は一軍内野守備・走塁コーチ。
1999年から2001年にかけては一軍打撃コーチを務める。
2002年と2003年は二軍内野守備・走 ……
山田和利さんが亡くなってから、10日が経ちました。