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野津道貫(のづみちつら)

薩摩藩士、元帥陸軍大将、侯爵[日本]

(日露戦争時の第4軍司令官)

1908年 10月18日 死去享年68歳

野津道貫 - ウィキペディアより引用

野津 道貫(のづ みちつら / どうがん、1841年12月31日(天保12年11月30日) - 1908年(明治41年)10月18日)は、日本の陸軍軍人。
東部都督、教育総監、第4軍司令官を歴任した。
最終階級は元帥陸軍大将。
正二位大勲位功一級侯爵。
兄に陸軍中将・野津鎮雄がいる。
生涯= 陸軍少将時代の野津道貫 鹿児島城下高麗町の下級藩士・野津鎮圭の三男として生まれる。
通称は七次。
諱は道貫。
幼くして両親を亡くした。
薬丸兼義に薬丸自顕流を学ぶ。
戊辰戦争に6番小隊長として参加。
その活躍がめざましく、鳥羽・伏見の戦いから会津戦争、二本松の戦い、次いで箱館戦争に参戦。
明治4年(1871年)3月、藩兵3番大隊付教頭として上京し御親兵となる。
同年7月、陸軍少佐に任じられ2番大隊付となる。
明治5年(1872年)8月、陸軍中佐に昇進し近衛局分課に勤務。
陸軍省第2局副長を経て、1874年(明治7年)1月、陸軍大佐に進級し近衛参謀長心得に就任。
1876年(明治9年)7月から10月までフィラデルフィア万国博覧会に出張。
1877年(明治10年)2月、西南戦争に政府軍第2旅団参謀長として出征。
同年5月から8月まで豊後国指揮官を務めた。
その後、日本陸軍上層部の一人となる。
1878年(明治11年)11月、陸軍少将に昇進し陸軍省第2局長に就任。
その後、東京鎮台司令長官、同鎮台司令官を歴任。
1884年(明治17年)2月から翌年1月まで陸軍卿・大山巌の欧州出張に随行。
同年7月、子爵 ……

野津道貫が亡くなってから、116年と34日が経過しました。(42403日)

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