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津田恒実 氏(つだつねみ)

プロ野球選手[日本]

1993年 7月20日 死去脳腫瘍享年32歳

津田恒実 - ウィキペディアより引用

津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県都濃郡南陽町(後に新南陽市を経て、現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
愛称は「ツネ」「炎のストッパー」。
旧名「恒美」(読み同じ)。
経歴= 生誕からアマチュア時代= 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区(旧和田村)出身。
南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。
1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。
同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。
卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵(現:協和キリン)に入社。
1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。
1回戦で優勝候補の富士重工業を抑え注目を浴びる。
しかし2回戦ではリッカーの中西清起と投げ合い敗退した。
同年の日本選手権では、協和発酵のエースとして2勝をあげ準々決勝に進出するが、この大会に優勝した富士重工業の向田佳元との投手戦の末に惜敗。
都市対抗の仇を討たれた形になった。
プロ入り= 同年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団。
1982年に先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝く。
しかし2年目の後半戦以降は、ルーズショルダー や中指の血行障害などに悩まされ登板機会が激減した。
その後、血行障害を治すため世界初とな ……

津田恒実さんが亡くなってから、31年と85日が経ちました。(11408日)

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