清川栄治 氏(きよかわえいじ)
元プロ野球選手、コーチ[日本]
2024年 5月5日 死去悪性腫瘍享年64歳
清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - 2024年5月5日)は、京都府京都市上京区出身のプロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者。
経歴=
プロ入り前=
少年時代から体が小さく、小学校、中学校で整列するときはいつも前から2番目だった。
小学6年から投手を始めたが、小さいときに父を病気で亡くしており、甲子園を目指すなら、京都府では学費の高い私立学校へ進学するしかないことから、中学時代から6年間一日も欠かさず朝夕の新聞配達をして家計を助け、自宅裏にあった京都商業高へ進学した。
高校2年次に1978年夏の甲子園に出場。
1回戦で県岐阜商を相手にリリーフで甲子園初登板を果たすが、8回に逆転され2-3で惜敗。
翌1979年はエースとして地区予選で完封もしたが、準々決勝で乙訓高に敗退した。
高校卒業後は、大阪商業大学へ進学し硬式野球部に入部。
大学1年春から即戦力となり、関西六大学野球リーグでは通算49試合に登板し24勝(当時のリーグ最多勝利記録)8敗、防御率1.91、ベストナイン1回受賞。
大学4年時に調子を崩したことと、同期の川原新治が77イニング無失点のリーグ新記録を樹立しスカウトの注目を浴びたこともあり、ドラフトの指名にはかからなかった。
現役時代=
第一次広島時代=
どうしてもプロへの気持ちを捨てきれず、1983年オフにドラフト外で広島東洋カープに入団。
背番号は48。
しかし、当時の広島カープは12球団随一の投手王国。
確固たる役割の ……
清川栄治さんが亡くなってから、200日が経ちました。