栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)
浮世絵師、戯作者[日本]
(文政6年2月23日没)
1823年 4月4日 死去享年80歳
栗杖亭 鬼卵(りつじょうてい きらん、1744年〈旧暦延享元年〉 - 1823年4月4日〈旧暦文政6年2月23日〉)は、日本の武士、浮世絵師、戯作者。
盈果亭 栗杖(えいかてい りつじょう)、栗杖亭 陶山(りつじょうてい とうざん)、大須賀 鬼卵(おおすか きらん)とも名乗った。
本名は伊奈 文吾(いな ぶんご)であったが、のちに改名し大須賀 周蔵(おおすか しゅうぞう)となった。
晩年は仏卵(ぶつらん)と号した。
なお、文献によっては栗枝亭 鬼卵(りっしてい きらん)と表記されていることもあるが、誤字であると推察されている。
概要=
河内国茨田郡(現在の大阪府北東部)の生まれ[註釈 1]。
もともと武士であったが俳諧と絵画を学び、陣屋の手代を経て浮世絵師となった。
その作品は『東海道名所図会』などにも収録されている。
その後、東海道の宿場町ごとに纏めた紳士録『東海道人物志』を著し、好評を博した。
さらに読本の執筆にも取り組み、『新編復讐陽炎之巻』『長柄長者黄鳥墳』『勇婦全伝絵本更科草紙』などを次々と上梓した。
その作品は歌舞伎として舞台化されるなど、戯作者として名を馳せた。
来歴=
生い立ち=
1744年(延享元年)、河内国茨田郡にて生まれた。
青年期には、伊奈文吾と名乗り、下級武士として永井氏に仕えた。
この頃から既に絵画、狂歌、連歌に才能の片鱗を見せていた。
なお、のちに大須賀周蔵に改名している。
1779年(安永8年) ……
栗杖亭鬼卵が亡くなってから、201年と231日が経過しました。(73646日)