池田武邦 氏(いけだたけくに)
建築家[日本]
2022年 5月15日 死去老衰享年99歳
池田 武邦(いけだ たけくに、1924年1月14日 - 2022年5月15日)は、日本の建築家、実業家、海軍軍人。
日本設計名誉会長、日本設計池田研究室代表、ハウステンボス会長、NPO法人「聚」理事長。
太平洋戦争中、軽巡洋艦「矢矧」に乗り組み、マリアナ沖、レイテ沖、戦艦大和の沖縄特攻作戦に参加した。
矢矧沈没のため「重油まみれの海を5時間泳いで」生還した。
泳いでいる最中、いとこの建築家が設計した実家の風通しの良い畳の上に「ああ寝転びたい」とふと思う。
この体験が戦後に超高層ビルの設計を進め、日本の高層建築の黎明に携わった一方で、自然との共生も追い求めた歩みの原点となった。
海軍軍人としての最終階級は海軍大尉。
年譜=
1924年(大正13年)1月14日 一家の居住地、鎌倉の自宅が、関東大震災のため倒壊。
疎開中の静岡県静岡市に生まれる。
子供時代を神奈川県藤沢市で過ごした。
1943年(昭和18年)9月15日 海軍兵学校を卒業(72期)。
同年11月 大日本帝国海軍軽巡洋艦矢矧の艤装員として少尉候補生で着任。
1945年(昭和20年)2月 第四分隊長兼測的長を拝命。
同年4月6日 天一号作戦に従事し大和以下駆逐艦8隻と共に沖縄へと出撃。
同年4月7日 アメリカ軍の航空攻撃により大火災をおこし矢矧が沈没、直撃弾の爆風によって顔面に火傷を負った。
約5時間後、駆逐艦「冬月」に救助され佐世保へと向かった。
1949年(昭和24年) 東京大学第一工学部建築学科卒 ……
池田武邦さんが亡くなってから、2年と190日が経ちました。(921日)