三留理男 氏(みとめただお)
写真家、ジャーナリスト[日本]
2022年 3月22日 死去前立腺がん享年85歳
三留 理男(みとめ ただお、1938年12月1日 - 2022年3月22日)は、日本の報道写真家。
国連から恒久IDカードを発行された世界でも数少ないジャーナリストの一人。
人物=
1938年、日本統治下の朝鮮北部・沙里院(現在は北朝鮮・黄海北道沙里院市)に生まれる。
1948年に長崎県佐世保市に引き揚げる。
山口県立萩高等学校在学中に、元朝日新聞のカメラマンであった角川政治に師事、写真を学ぶ。
1958年に日本大学藝術学部写真学科に入学。
在学中の1961年には写真集「Document 小児マヒの記録」(法政大学出版局)を出版した。
同年には初の個展「どんづまり―筑豊の女たち」を開催し、各方面より高い評価を得る。
その後、日本大学藝術学部写真学科を中退。
1960年代半ばより報道写真家としてアフリカ・ギニアの部族を取材する。
また、パレスチナ、インドシナ三国の国際紛争を取材する。
三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加しており、1968年3月31日に成田市街地で機動隊とデモ隊が激しく衝突した第3次成田デモ事件などを取材している。
三里塚芝山連合空港反対同盟(反対同盟)も制作に参加した映画『襤褸の旗』では制作にも携わった。
現在でも反対同盟の北原派主催の映画上映会で話をすることがある。
アジア・アフリカを中心に70カ国以上を取材しているが、成田空港の使用は避けている。
1981年に『アコロ「食うものをくれ!!」』(集英社)を出版。
ケニアの西北部、トルカナ地 ……
三留理男さんが亡くなってから、2年と244日が経ちました。(975日)