酒井雄哉 氏(さかいゆうさい)
僧侶・天台宗[日本]
2013年 9月23日 死去心不全享年88歳
酒井 雄哉(さかい ゆうさい、1926年〈大正15年〉9月5日 - 2013年〈平成25年〉9月23日 )は、天台宗の僧侶。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。
天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。
経歴=
誕生=
1926年(大正15年)、大阪市玉造で、10人兄弟の長男として生まれる。
5歳の時、一家で東京へ移る。
旧制麻布中学を受験したが失敗し、1941年(昭和16年)、慶應義塾商業学校(慶應義塾大学の夜間商業学校)に入学、同校卒。
落第生で卒業が危ぶまれたため、担任教員に軍隊入隊を勧められる。
当時は入隊と引き換えに卒業が認められる制度があった(繰り上げ卒業)。
入隊=
1944年(昭和19年)、熊本県人吉の予科練に入隊。
そこで半年間の訓練を受けた後、宮崎県の宮崎海軍航空隊(後の松島海軍航空隊、陸上攻撃機)所属を経て、鹿児島県の鹿屋飛行場に移る。
同僚が特別攻撃隊員として、次々と戦死していく中、鹿屋飛行場も連日のように米軍機による空襲を受ける。
ある日、訓練の最中に米軍の機銃掃射による猛攻撃を受け、逃げ損ねるが、田んぼの溝に落ち、奇跡的に助かる。
少し前まで元気だった優秀な仲間が命を失い、自身は生き残った体験から、世の無常を味わう。
戦後=
戦後は、法政大学の図書館職員となり、その働きぶりが評価され、大学の教授から、法政大学入学を勧められる。
自身もその気になり、法 ……
酒井雄哉さんが亡くなってから、11年と59日が経ちました。(4077日)