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伊丹三樹彦 氏(いたみみきひこ)

俳人写真家[日本]

(別号・写俳亭)

2019年 9月21日 死去肺炎享年100歳

伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、日本の俳人、写真家。
本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。
別号・写俳亭。
略歴= 兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。
三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。
13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。
高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。
1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。
戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。
また「太陽系」に参加。
1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集・発行を行う。
1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。
以後、第二次「青玄」においてリアリズム・リリシズム・リゴリズムの「三リ主義」を標榜し、超季、分かち書き俳句を推進した。
1970年、写真と俳句の相乗による「写俳」運動を創始した。
半どんの会文化功労賞(1970年)、尼崎市民芸術賞(1971年)、兵庫県文化賞(1980年)、大阪市民文化功労賞(1988年)、文部大臣地域文化功労者表彰(1994年)、神戸市文化賞(1999年)、現代俳句大賞(2003年)など、数多くの賞を受賞。
2006年、脳梗塞で倒れたが奇跡的に元気を回復、高齢ということもあり自重して「青玄」を607号にて終刊。
妻の伊丹公子(2014年12月15日没の89歳)、娘の伊丹啓子はともに俳人。
啓子が200 ……

伊丹三樹彦さんが亡くなってから、5年と62日が経ちました。(1888日)

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