古田徳昌 氏(ふるたのりまさ)
元マツダ社長[日本]
2019年 9月9日 死去心不全享年92歳
古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。
通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。
来歴=
大分県宇佐市出身。
実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。
中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。
1952年(昭和27年)、通商産業省入省。
同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
椎名悦三郎通産大臣の秘書官として仕え、同大臣の薫陶を受ける。
1969年より1973年まで、在フランス日本大使館参事官として赴任。
帰国後、航空機課長、自動車部長、資源エネルギー庁石油部長などを歴任。
1981年通商産業省貿易局長から退官後、電源開発理事に就任。
1985年(昭和60年)マツダ入社。
同社専務を経て、1987年(昭和62年)12月、マツダ社長に就任、初の会社外部出身の社長となる。
これは田原総一朗によると、当時社長山本健一が体調不良に加えプラザ合意以降の円高不況で経営悪化したため退任することになり、当初山本は副社長でメインバンクである住友銀行出身であった和田淑弘を社長に推薦したが巽外夫住 ……
古田徳昌さんが亡くなってから、5年と74日が経ちました。(1900日)